早朝から映画『田園に死す』の聖地巡礼をかねて恐山に入り、あまりにも夢中になりすぎて気がつけば正午前になっていた。朝ご飯は服薬のために義務的にコンビニのおにぎりを一つ食べただけで、駐車場前のおみやげ処に立ち寄るまでは、まるで気にならなかった空腹感がどっと押し寄せてきた。元々昼はウニ丼かマグロ丼にしようと思って下北名産センターに当たりを付けていたが、隣にある食事処の看板が目に入り、前日までの覚悟が揺らぐ。悩んでいたちょうどそのタイミングで駐車場に大型観光バスが入ってきて、あっという間にバスから食事処まで人の列が形成された。恐山の蕎麦を食べてみたかったが、わざわざ混み合う店内で食べたいと思えるほどの魅力はなかったので、すっぱり諦めて下山することにした。
週末の昼時だというのに、下北名産センターは拍子抜けするほど客の姿が見当たらない。これはそもそも下北半島に人が少ないからか、それとも私は恐山で狸か狐に化かされてしまったのかと疑う光景が目の前に広がっていた。
不思議な気分のまま、案内看板に従い売り場の奥にある食堂へ向かう。食堂はよく出入りしている企業のオフィスと同じくらいの広さで、壁際には簡易的な長テーブルで作られたカウンター席と、中々立派なダイニングテーブルが並べられている。入り口から入ってすぐに券売機とメニュー看板が置かれている。券売機の前でマグロ丼とウニ丼の字を探すが、ウニ丼が見当たらない。今回はマグロ丼と縁があったと思い財布を取り出すと、券売機の隣にあるメニュー看板のやや下側に手書きで限定五食生雲丹丼と書かれたPOPが目に飛び込んできた。
限定、しかも生雲丹ときたらマグロの魅力など平凡な魚ぐらいにしか思えなくなってしまった。価格は4500円。地元の寿司屋では雲丹軍艦二貫で800円なので、どんぶり一杯なら充分安い。こちらは受け取り口でのお会計。食堂には他に客の姿も見当たらないので、さほど待たずに提供された。微妙に温かい白飯の上に敷き詰められた雲丹は実に美しい。まずはそのままに一口。生臭さもミョウバン特有のくどさもない、磯の香りと舌の上で暴れるかのような強烈な甘さで脳が痺れるような感覚に襲われる。鮮やかな黄色で大ぶりな卵巣から推察するに、ちょうど旬に入ったばかりのムラサキウニだろう。私はバフンウニのほうが好みではあるが、好みよりも旬のものを頂くほうが尊重すべきというのが持論なので気にせずがっつく事にした。幸せな時間というのは短いもので、気がつけば丼は米粒一つ残らず空になっていた。
充分満たされた、というには少々物足りない。量が少ないという訳ではなく、約三時間も恐山を歩いて回っていたから身体の要求に対してどんぶり一杯ではまだ足りないし、口の中が甘いので塩気が欲しいと思っていた。
なんか地物で手頃なものがないかと売り場を歩くと、地元の磯海苔を使った塩鮭おにぎりを見つけた。さっそく購入して車内で頂く。簡単にほつれる程の磯海苔には若干の砂が混じっていたが、雲丹とは違う日に当たって温まった潮だまりのような磯の香りと塩鮭が食欲を引き立てる。買ってすぐ食べないと駄目なほど傷みが早いと思うが、外にある浜焼きと一緒に味わうにはちょうどよいかも知れない。